本田八夏

MagicBar 猪虎亭 マスターのブログ

お釈迦様

僕がブログを書くポリシーで 
《ニュースやネットに反応したことを書かない》 
と言っています。


が、、、、

ネットでの差別・罵詈雑言には、見ていて辟易するところがある。

●中国で網に登って人が死んだら、
『そんなことも予想できないのか ・ 自業自得だ ・ やはり中国』

こんなコメント、民度の低さに吐き気がします。お前はどんだけ賢いんだと言いたくなる。

●張本さんがカズに引退促したら 
『韓国帰れ・朝鮮人はこれだから嫌だ』

すっとんきょうな意見とはこのことだ。何が 韓国帰れだ! 国が何が関係ある?!
知り合いにも平気で差別発言する人がいるが、とても頭の悪い人で嘘をつきます。

というように、嫌な思いのする (中には共感する方もいるのでしょうが) ネットでのコメントや悪口という文化は、国民性のダメな部分をさらけだす大きなファクターになってしまいましたね。


今日は 《張本発言》 このことに特にふれたい。

僕は、お相撲さん高見山が大好きだった。

引退間際、サボーターやらテーピングやらを膝にぐるぐる巻きで出てきた。土俵入りも苦しそうだった。体重を支えきれないのであろう。

俺はそれを見て涙が出た。感動の涙なんかじゃない。

『もういい!充分頑張った!勇気くれた!もうやめてくれ!本当にありがとう!』 という涙だった。

引退後、TVでコメンテーターや芸能人が、『もったいない』 『まだできる』 『残念だ』 と言っていましたが、俺は心の中で、
何ぬかしとんじゃボケ! もうできるかい! もったいない言うくらい好きなんやったら、まだやらすくらいやったら最高の引退の仕方考えたらんかい! と吠えていた。

人それぞれですね。愛していればこそ、やめ際を求める心もあるでしょう。
関係ない話ですが、そういった意味では昨今は、柔道の篠原さんのように引退後、活躍の場があるTV界は暖かいのかもしれませんね。

私 本田八夏は狂ったほどのサッカーファンで、KAZU崇拝者の一人でもあります。

KAZUにはまだまだやってほしい。人間の限界にチャレンジして欲しい!
ですが張本さんの意見に反対でもないし、別段、敵意も湧きません。
KAZUが満身創痍ならやめて欲しいが、プレーを見ていたらワクワク感が半端ない!それこそ本当に意見は人それぞれです。

『行為する者にとって、行為せざる者は最も過酷な批判者である。』 福沢諭吉


サッカーを続ける行為も、評論意見する行為も、憎しみや悪口、面白半分の批判でなければしてもいいのではないかと思います。


こんなのを見つけました。

《お釈迦様》

お釈迦様が多くの人たちから尊敬される姿を見て、ひがんでいる男がいました。
 
「どうして、あんな男がみんなの尊敬を集めるのだ。いまいましい。」

男はそう言いながら、お釈迦様をギャフンと言わせるための作戦を練っていました。
ある日、その男は、お釈迦様が毎日、同じ道のりを散歩に出かけていることを知りました。
そこで、男は散歩の道で待ち伏せして、群集の面前で口汚くお釈迦さまをののしってやることにしました。
 
「釈迦の野郎、きっと、おれに悪口を言われたら、汚い言葉で言い返してくるだろう。
その様子を人々が見たら、あいつの人気なんて、アッという間に崩れるに違いない。」
 
そして、その日が来ました。
 
男は、お釈迦さまの前に立ちはだかって、ひどい言葉を投げかけます。
お釈迦さまは、ただ黙って、その男の言葉を聞いておられました。
 
弟子たちはくやしい気持ちで、
「あんなひどいことを言わせておいていいのですか?」 とお釈迦さまにたずねました。
 
それでも、お釈迦さまは一言も言い返すことなく、黙ってその男の悪態を聞いていました。
 
男は、一方的にお釈迦さまの悪口を言い続けて疲れたのか、しばらく後、その場にへたりこんでしまいました。
 
どんな悪口を言っても、お釈迦さまは一言も言い返さないので、なんだか虚しくなってしまったのです。
 
その様子を見て、お釈迦さまは、静かにその男にたずねました。
 
「もし他人に贈り物をしようとして、その相手が受け取らなかった時、その贈り物は一体誰のものだろうか?」
 
こう聞かれた男は、突っぱねるように言いました。
「そりゃ、言うまでもない。相手が受け取らなかったら贈ろうとした者のものだろう。 わかりきったことを聞くな!」
 
男はそう答えてからすぐに、 「あっ」 と気づきました。
 
お釈迦さまは静かにこう続けられました。
  
「そうだよ。今、あなたは私のことをひどくののしった。 でも、私はその ののしりを少しも受け取らなかった。だから、あなたが言ったことはすべて、あなたが受け取ることになるんだよ」
 
人の口は恐ろしく無責任なものです。
ウワサとか陰口というものは、事実と違って、ずいぶんとでたらめなことがよくあります。
ウワサや陰口だけではありません。
図太い神経の持ち主で、目の前にいる相手に向かって、直接ひどいことを言う人もいます。

自分を非難されるようなことを言われたら、たいていの人が、ダメージを受けます。
傷ついて落ち込んでしまったり、腹が立ってイライラしたりすることも、あるでしょう。
でも、お釈迦さまは、違いました。
 
人前で恥をかかされることを言われても、ちっとも動じません。
その場を立ち去ることもせず、じっと相手の話を聞いているのに、口応えもしません。
それでいて、まったく傷ついたり怒ったりしないのです。
 
お釈迦さまは、相手の言葉を耳に入れても、心までは入れず、鏡のように跳ね返しました。
ですから、まったくダメージを受けないのです。

言葉は時として、人の心を傷つけることのできる刃になります。
しかし、心が刃より固くて強ければ、痛くもかゆくもないのです。
 
ひどいことを言う相手を責めても、仕方ありません。
それより、自分の心を強くする方が良いのです。