本田八夏

MagicBar 猪虎亭 マスターのブログ

生きる力

今、ある言葉が常に思考順序の優位に立ってしまう。

ここ数ヶ月ずっとそう。


『恐怖から逃げる事と生きる事とは違う。』


『守る力と一緒にいられる力とは違う。』

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弟子は知的能力、判断力にかなりの不安があり、日々彼らと接すると、彼ら本人以上に恐怖を感じる。
彼らの将来を強く案じる。

それはやはり50年以上の人生が、経験を通して危機を知ってるからだろう。

彼らは常に些細な恐怖から逃げようとする。

痛み、苦しみ、悲しみ、
さらには、空腹、気持ち悪さ、快楽の制限、、、、

人間だれしもが立ち向かうものなのに、そのハードルが圧倒的に低い。

手を伸ばすだけの努力で済むことに対してでも、そこに少しの痛みが伴えば即座に躊躇する。

即座に躊躇する能力は能力とは私は断じて言わない。

子供が怪我をしそうな直面で、手を伸ばしてやるだけで救えたとしても、それに少しの痛み、リスクがあると思えば行動を躊躇。
それが、蚊に刺された程度の痛みだとしてもだ。
空手家が自身の拳を鍛えるために木を叩く時、少しの痛みがあるからと言ってあきらめるだろうか。

弟子は、育ちの過程で
『自分のところにボールが飛んでこないように。』と祈る性格を養ってしまっている。

本人に直接聞いても、実際、体育の授業などで毎回毎日そう思っていたのだそうだ。

恐るべきは、

それはいけないことなのですか? と二十歳を越える青年がキョトンと答えた事。


根底にあるものは、

〝 恥 〟

恥はどんな事があっても嫌なのです。

ボールさえ飛んで来なければ失敗する事もなく、恥もかかない。
リスクを背負わなければ万事うまく行くと思い込む人生を歩んで来てしまいました。

恥ずかしいと思う自分のルールの中の出来事を多く目撃してきたのだと思う。


私自身も似た経験がある。

親の夫婦喧嘩を見て、死にたくなった事がある。

だから自分は夫婦喧嘩は恥だと思っている。
たがらこそ夫婦喧嘩をしない為の工夫を努力する。

その為に我慢があったり、痛みがあっても、成就の為なら突き進める。
大きな目標に向かうために背負う些細なリスクなど、自分の子供に同じ思いをさせたくない、息子の事を考えると屁でもない事です。

だが悲しい話だが、彼らは思考回路が少し違う。

結婚しなければ夫婦喧嘩すらないと考える。

その前のさらにその前から危機回避する。
何の人生なのだろうか?


弟子に必死で教えている事は、
飛んでこなかったボールは、誰かの元に飛んでいる。と言う事。

同じ優勝を味わうにしても、ウィニングボールは自分の手で!
と言う気持ちのほうが大切。
ましてや我々、芸の者は特にそうである。

そして、その向こう側には、

『他の人を助けてやる。』

と言う心を併設してなければ無意味に近い。
ほんの少しのエゴは優しさと共存する時もある。

彼らが、痛みを避けようとする本能が、育ちなのか、甘えなのか、阿保なのか、、、
そんな事ははっきりと答えに出せないが、
しっかり生きて喜びを共有、味わう事は、恐怖から逃げ回っていたら永遠に来ないと言う事。

。 。 。 。 。 。 。 。 。 。

そしてそんな彼らと毎日接していると、とてつもない恐怖とやりきれなさが襲ってくる。

彼らの将来をどれだけ心配しても、どれだけ守ってやろうとしても、彼らと一緒にいられる時間は永遠ではない。


様々な困難。
突き放さなければならない時。
僕のほうが早く死ぬだろうし、体力に限界も来る。

守る力と一緒にいられる力とは違う。

ただ一つ、
彼らが手品を愛してくれている事が、彼らにとっても私にとっても大いなる希望です。

2016・10・31