本田八夏

MagicBar 猪虎亭 マスターのブログ

仁義

本日は真面目に仁義の話。

ある熱い男の義理人情に感化されてしまいこの文章を書こうと思いました。

最初に、前説として過去の例だけどくだらん話を思い出して見る。


私に仕事をまわしてくださってる広告代理店の社長と話した。

『本田君 京都の ○○ というマジシャン知ってるかい? どうやって調べたか知らないけど、会社に直接、 雇ってくれないか本田さんより安く仕事をする。という内容の手紙が来た。もし本田君が知ってる人なら失礼極まりない人だな。マジック界には仁義というものがないのか。』

と憤っておられた。
実際知ってる人で、まあ確かに仁義のわからんアホではある。

ただ、アホだから別に憎んではいない。これからもせまい京都、顔合わすこともあるだろう。一喝入れてやりたいが、相手がまともな奴ならそうする。だけどアホだから怒らない。

以前、弟子の中にも、義理もヘッタクレもないのがいた。でもアホ過ぎて憎んでいないし、元弟子だから憎む気になれない。どういう思いがあったかしらんけど、まがりなりにも1年も2年も手品を教えてもうといて
首になってからネットで悪口を書き、挙句は他人にふれこみ、ふれこまれた奴もアホだから俺にしばくぞと言うてきよった。アホすぎる。ほんまにアホすぎる。

恩がわからん。はたまた、恩を感じることが生まれながらに出来ない奴っておる! きっと淘汰される。

関係ないけど最近、横浜球場かどっかで、おばはんが子供のボール奪い取ったという記事が出ていた。
一人がそのおばはんを叩き出すと、なんも事情知らんと次から次へと攻撃しだす。
超びっくりするのは、俺の知ってるドアホ不義理で有名なマジシャンがそれにこうコメントしとった。
『このおばはん 人間として最低やな!』 


じっくり吟味、考えてから発言しようとは思わないのか? あの画像だけでそないにすべてがわかるのか?ちょっと考えりゃそのくらいわかるやろうに。
ほんまにそのおばはんはえげつない悪魔なのか? ちょっとアホなだけと違うんかな。

と言うように、今出てきた人物たちは、他人様からアホ・不義理な奴 と言われて平気なのだろうか。気づかないのだろうかアホだから。

ネットて怖いね。書きたい放題やもん。
今頃 あのおばはん ノイローゼなって自殺考えとんのちゃうかいな。


以前お世話なったり、恩のある人まで平気で中傷しよる記事をフェイスブック仲間から見つけた。
過去にお世話になっていようが、今現在嫌いだから悪口を言おう!という趣旨だ。 アホだから放っておくが、それ以上にアホなのが、その記事に馬鹿コメントしよるドアホだ! 肯定否定どっちもせ~とは言わんけど、せめて便乗して悪口書くのはやめとけ!
その人はアホです。 仲間は仲間やけど アホです。 恩も義理も アホやから意味がわかってない。

と言うことは仁義のわからん奴 = アホ と言う場合が多いのかもしれません。

でも実際はその人たちにも友がおり、分かち合える人がいます。
義理の種類が違うのかもしれません。


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さて、前説終わって中説です。

仁義 とはどういうものか?

国語辞書にはこう載っていた。

道徳上守るべき筋道。
他人に対して欠かせない礼儀上の務め。義理。

ことわざや雑学の本には

”孟子 はの心は 同情心のことであり、赤ん坊が井戸に落ちようとしているとき、それを見た人が無意識に赤ん坊を助けようと思う心であると説いた。”

 は人間の行動 義人 とは 堅く正義を守る人 我が身の利害をかえりみず他人の為に尽くす人。

と載っていました。

同情心 ⇔ 同じ情の心を持つ。
と言うことは、やはり義理の種類や量は人それぞれであり、大小かかわらずその人独自の正義はあるのだと思います。
だから アホ な人が 情のない人とは限らない。

でも、そういう言葉や文字で表すもの以外、人間同士、当事者同士しかわからないルールとしての仁義はあると思います。
それにそもそも 《仁義って何?》 と考えることもあまりない話。理屈でなく心や思想の言葉であると思います。


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本題 
仁 と 義の心を持つ人。

僕は今まで数人に手品を教えました。ちょっとだけ教えた人、何年にも渡り教えた人。いろいろです。
その中で、吉備八丸に教えたのが 100 やとすると、 1か2だけ教えた人がいます。その人はお医者さんです。

僕は今 あることで悩んでいます。
そのお医者さんに相談しました。
するとそのお医者さんは、過去1か2教えただけなのに、私のことを師匠と呼び、義理を感じて全力を尽くしてくださいます。
面白い方で、熱く語りすぎてご自身の持つ熱さを裏返しの言葉で否定的に話されます。
こう書いておられました。
”熱意や善意で頑張るという精神論は大っ嫌い”

どうも根性論がきらいな模様です。

そのお医者さんの著書を読みました。
その医学書からいただけたものは、 ” 勇気 ” でした。私たち医学を知らない者からすると専門用語で語られる難しい部分に感銘は受けず、
熱いメッセージを静かに書いた 同情心 や 優しさを感じるのです。
面白いものですね。本人の意図とは関係なく、どんな言葉を選ぼうと一冊の本にはその方の性質が出るものなのでしょう。
根性!がひしひしと伝わってきます。 
医学書において、医学の知識を伝えるのではなく、読み手に対して 勇気を与える!
これって、その本の最大限の成功なのではないかと僕は勝手に思っています。

そんな彼も 私と同時にやはり悩んでいます。
仁義についてです。
友情や恩、義理人情。。。。


●最後に僕の自論です。

以前、弟子に仁義を語りました。
アホ弟子にわかりやすいように例えて話しました。


"仁義" は防具であり武器です。 重りでもあり、自分を鍛える道具です。
小学生の時に パワーアンクル なるものをつけて登校しました。
自分の力量、体力に合わせて 1kg の人もいれば3kgの人もいました。

仁義を付けていると思うように動けません。だけどそれをつけているとそれを意識します。仁義は意識しないといけません。
いつのまにか自然になり、身に付けていた2キロの重りが気にならなくなります。仁義が2キロ身に付きました。
はずせばそりゃ軽くなるでしょう。楽でしょう。
仁義を10キロ付けている人は本当に動きにくいと思います。つらいでしょうね。仁義の世界に生きておられる方は本当につらいでしょうね。
でもね、10キロの足かせ付けて動ける人なんてとっても強い人ですよ。おっきい人ですよ。


 と言う字は カタカナの イロハニホヘト の イ と 二 です。
間に ロ とハ をはさんでいます。 ロ ハ すなわち 只 です。
仁 とは無償の行いを内に持つ物なのです。

は 
我が身の利害をかえりみず他人の為に尽くすこと。

仁義とはそういうものなのです。